仏蘭西語教養セミナー、略して仏教セミナー(1)4時間目まであります.お好きな科目を受講して下さいませ!

1時間目:仏教(1)

 

仏教の教えは、何も目新しいことはありません。
誰でも、みんな知っていることがらです。

たとえばこうです。

 諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教 
しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう

諸々の悪しきことをせず、もろもろの善いことを実行せよ。
自ずからその意(こころ)を浄めよ。これが諸仏の教えなり。

諸仏と言われていますが
歴史上、仏はただひとり、ゴータマ・ブッダだけのはずですが、
お経文には、七仏、仏様は7人いるらしい。

 「どこにいるのだ。名を名乗れ!」

と言いたいでしょ。あなたが、学校の先生なら、出席を取るんじゃない
ですか?

1番、毘婆尸仏(びばしぶつ)様。 はい。
2番、尸棄仏(しきぶつ)様。はい。
3番、毘舎浮仏(びしゃふぶつ)様。はい。
4番、拘留孫仏(くるそんぶつ)様。 はい。
5番、拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)様。はい。
6番、迦葉仏(かしょうぶつ)様。 はい。
7番、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)様。 はーい。

そして、最後にお返事くださったお釈迦さまだけが、
私たちになじみのある、インドでお生まれになった仏様
ですよね。(ネパール説も有力ですが)
(このことについては、また後日お話しましょう)

お釈迦様がお出ましになる前には、過去にも仏様が
いらしたと、ということらしいです。

さて、冒頭の教えをもう一度、見てみましょう。

諸悪莫作・衆善奉行 
しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう 

諸々の悪しきことをせず、もろもろの善いことを実行せよ。

昔、中国で・・白楽天の時代に、その白楽天が、木の上で
座禅をしているお坊様を見つけるんですね。

危ないから声をかけます。

  「そんなところで座禅してたら、危ないよ。」

するとそのお坊さんが、返答します。

  「あんたのいる、そのシャバ世界は、もっと危ないよ。
   ドロボーもいるし、人殺しだってある。」


楽天、ちょっとからかわれた気分になって、面白くない。
言い返します。

  「あんた、仏教って、いったい何なんだね。」

そこで、このお坊様が、冒頭の句を唱えて、教えたというのです。

  「悪いことをせず、いいことを、どんどんやりなさい。」

それを聞いた白楽天が、笑って言い返します。

  「ははは、そんなこと、3つの幼児でも知っているよ。」

お坊様、さらに言うには、

  「なるほど、3歳児も知っているだろうが、80歳の
   翁にも実行は難しいぞ。」

これには、さすがに、白楽天も1本とられたといいます。

でも、たしかに、これが仏教だと思います。簡単な教えだけど、
実行が難しい。

このお坊様の名前は、鳥彙道林(ちょうかどうりん)。
741年~824年というから、唐の時代の僧侶です。

この名僧の返答に
大いに学んだ白楽天は、竹閣(広化寺)を建てたという。。
そして以後、朝に夕に訪れては、参禅したのだとか。


仏説は、わかりきった、やさしいことなのだけど、
実践となると、きわめて難しい。

とくに、たとえば、アル中みたいな人に、禁酒を説いても
無駄でしょ。その人には、まず、アルコール中毒症を
治療するところからスタートさせないと。

それは、仏教の分野ではなく、入院して治療した方が早い。

煩悩を断じて、一切無障礙とならん・・

なかなか経文通りに、事は運びません。運べば、その人は
第二のお釈迦様。

ところで、冒頭のたくさんの仏様たちは、大乗仏教が作り上げた
仏様たちです。
なぜ、作り上げたか?それは、多くの仏様たちを大乗仏教が抹殺したからなのです。

どういうことかというと、
ブッダ菩提樹の下で悟りをお開きになってから、
梵天勧請(インドの神様のおすすめ)で教え説くため鹿野園へ行きました。
もと共に修行していた5人の仲間たちでした。
彼らは、全員悟りを得たのですから、この時点で、地上には6人のブッダ
いたことになります。それからブッダの教えを受けて、悟りを得たお弟子たちは、
数十名になり、総勢500人を超えるブッダが、釈尊在世に、誕生したことに
なるのですが、このブッダたちを大乗仏教の教団は削除しました。

と言っても、実際に殺人したわけではなく、アラカンという言葉を作り上げて、
ブッダより、格下げしてしまったのです。

つまり、悟ったブッダに対し、「お前は、悟ってなんかいない。」
というレッテルを貼ってしまったのです。

その代わり、たくさんの、架空の仏様を作り上げました。ついでに、たくさんの
菩薩さんも作り上げました。
悟りを得ていたブッダのお弟子さんたちにとって、こんな不名誉なことはありません。さらに、大乗仏教は、それまでの既存の仏教教団に、「小乗仏教」という
下げすんだ名称を作り上げました。

そこで、裁判を開きたいと思います。

というか、もう先に、判決を下したい。

主文:大乗仏教徒は、在世仏教、原始仏教等に伝わる悟りを得たと言われるブッダ
たちの名誉回復につとめよ。ブッダ滅後も悟った人たちは大勢いたのですが、
大乗仏教は、アラカンだけでなく、「声聞」「縁覚」「辟支仏」など
次々に、格下げレッテルを用意しました。

こうして、仏教は、誰でも悟れる仏教から、五百塵点劫だか、なんだかわからない
長い長い時間をかけないと悟れなくしてしまいました。
もとにもどしてあげて下さい。
仏教はみんなのものです。悟りも、誰もができるものです。
お寺が知識を切り売りするものではありません。

 

 

2時間目
フランス語のおべんきょです。

(中級クラス)

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Moralès :  (à Micaëla)   (ミカエラに)
            Que cherchez-vous, la belle ?
            ク シェルシェ ヴー ラ ベル?
モラレス: 何を探しているのですか?


Micaëla :  Je cherche un brigadier.
             ジュ シェルシュ アン ブリガディエ
カエラ :  私は伍長さんを探しています。


     ≪文法≫
「何を」は二通りの言い方があります。
① Que ?   何を?
       ク
  Que cherchez- vous ? / 何を探していますか?

② Qu'est -ce que ?   何を?
       ケスク
  Qu'est -ce que vous cherchez?  / 何を探していますか? 


   Qu'est-ce que vous faites ?
   ケスク ヴー フェット?
  あなたは何をしていますか?

    ——J'écoute la radio.
         ジェクート ラ ラディオ
         ラジオを聴いています。

    《語句》  ( √ は辞書の見出し形を示す)
cherchez (敬称2人称単数、複数)あなたは~を探している
         √chercher  探す
faites (敬称2人称単数、複数)あなたは~している
         √ faire する 
écoute(1人称単数)私は~を聴いている
    √ écouter  聴く、聞く

 

 

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仏教セミナー(3時間目)「法華経

法華経を読みましょう。

——はい?何かご質問ですか?

——いかにも。法華経を含め、大乗仏教の経典は、ブッダの教えでは
  ないじゃないですか? どうして釈尊が説かれたものに近いと言われ
  ている、「ブッダのことば」などを学習しないのですか?

——それはいい質問です。釈尊入滅後、500年は、教えが正しく行われる
  だろうと、ブッダ自身も言い切っておられました。
  すると、その500年間に、正しく修行して、覚りを得た人たちも
  一応、ブッダですよね。そういう人たちが編んだ経典なら、ブッダ
  ことばに準ずるものではないでしょうか?

   「大乗非仏説」とか、よく言いますが、一般に知られている
 「ブッダのことば」にしても厳しく言えば、弟子たちの言行録ですから、
 「非仏説」といえば、非仏説です。  ただ弟子たちは悟りを得ていた
 わけですから、ブッダです。のちにこの正覚者たちは、アラカンに落と
 されてしまいますが、これはとんでもないことでした。覚(悟)りを
 得たらブッダです。
 
 のちに教団が分裂したときも、上座部にも、大衆部にも覚りを得た人た
 ちは大勢いたと、私は考えます。のちにたくさんの如来たちが出現しますが
 大日如来も、阿弥陀如来も、薬師如来もみな、そういう人たちのことを
 指していると考えても、まんざら間違いとは言えないと思います。

 どの書物だったか忘れましたが、大乗仏教は、既存の仏教教団を批判して
 生まれた、と説かれていました。

 それによると、当時小乗仏教は、難解な哲学思弁にふけっていて、
  人々に教えを還元しなかった、それに引き比べ、大乗仏教は、衆生
 救済する。ゆえに、救済の担い手として、様々な菩薩を編みだした。
(まあ、そういっていた大乗側も、たくさん難解な経論を作りましたけどね)
(インド各地に小乗仏教が伝播した結果をみると、大乗側に負けることなく
 救済活動もしていたようです。)

 大乗が「非仏説」と言われる所以は、様々な菩薩を生み出したという、
 この点にも あるかと思います。
 「架空の菩薩を大量生産しておいて、何が仏説だ!」
  と叫び声が聞こえてきます。

  まあまあ、そう固く考えないで、たとえば、「観音菩薩」様なら
  私たちも、きょうからでも、「準観音菩薩」と自称して生きていけば
  いいじゃないですか。
  慈悲心を持って、生きていきましょう。

  たくさんある菩薩様のことは、修行者の名前とか特徴だと割り切って
  考えましょう。

    あまたある如来、菩薩、魔訶薩は、もちろん仏教の権威付けのため
  ではありましょうが、それ以上に、仏教そのものの、真実証明書の
  役目を果たしていると思います。これがあるから、釈尊在世の教え
  が「正しい」ものとして受け入れられると思います。
  それがなければ、「イソップ寓話集」と同じ仲間入りをしていた
  ことでしょう。

  では、よろしいでしょうか?スタートします。


  如是我聞。一時仏住。王舎城耆闍崛山中。
  
  読み下します。

  「かくの如く、われ聞けり。あるとき、仏は王舎城
   耆闍崛山の中に住したもう。」

    如是我聞。経典の出だしは、この「にょぜがもん」です。
  お経文は、仏様が書かれたものではありません。お弟子たち
  も書きませんでした。これは、ずっと後になってから
  聞き伝えられた教えを、さらに後世へと語り伝えるために
  書かれたものです。

  書き手は各地に散らばった伝承を集め、順序立てて書いて
  います。特に法華経はその傾向が著しく、陀羅尼品もあれば
  観世音菩薩普門品もある。種々雑多の伝承をかき集めたもの
  の集大成です。ですが、だからと言って、掃きだめというわ
  けではありません。この編集には、多くのお坊様が集まって
  何度も検討を重ねて編まれたものだと思います。



    そして、この如是我聞ですが、これは当時の書き手の実印に
  相当するものです。「如是」の2字には、間違いなく、こう
  聞いたのだという明言があります。もし間違っていれば
  責任は私にあります、という実印ででもあります。つまり、
  書き手の勝手な解釈は一切混ざっていません、と言っています。

  それから「住したもう。」ですが、実際には山中で暮らしていた
  というわけではありません。法を説かれるときだけ、そこに
  上った、という解釈でよろしいかと思います。山中の炭焼き
  小屋で真っ黒な顔をした炭職人などを思い描かないようお願い
  したいです。法華経が説かれたと言う頃、教団はすでに大きく
  成長し、ブッダがどこへ行くにも、食事、宿泊の提供を申し出
  る在家信者は多かったと思います。
  
  滅後400年もたってから成立した法華経をこの山中で説くと
  いうことは、時間軸的にありえないのですが、12因縁などの
  覚りの中心軸をなす教えも、法華経は網羅していることから
  伝道にささげた生涯の後半でその一部分が説かれた、として矛
  盾はないように思います。一部分であって、28品が説かれた
  とは、到底考えられない。
    ではその他大部分は? はい、悟りを得た別のブッダたち
  (阿羅漢たち)によって付け足されたと考えます。
  釈迦牟尼如来ではないが、如来と呼ばれるに相応しい新たなる
  ブッダ(正覚者)によって。

 

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4時間目:フランス語入門

「スタンダード・フランス語講座 ①」(大修館)でフランス語の学習をしましょう。

もう絶版なので、入手は難しいと思いますが、中古本で入手もできることがありますので
こまめに、ネット販売本を検索してみてください。


Leçon 1   (ルソン アン)
第1課

【1】

Georges:   Bonjour, Jeanne.
          ボンジュール ジャーンヌ
     こんにちは、ジャンヌ


Jeanne:    Bonjour, Georges.  Entrez, entrez.
          ボンジュール ジョルジュ アントレ アントレ
          こんにちは、ジョルジュ. ささ、お入りなさい.


Georges:  Pardon.  Voici un cadeau pour vous. 
          パルドン ヴォワスィ アン カドー プルヴ
     失礼. これはあなたへのおみやげです.


Jeanne:   Tiens,  un cadeau pour moi ?  Merci, George.  Qu'est-ce que c'est ?
          ティヤン アン カドー プル モワ? ケスクセ?
     あら、私へのおみやげ?ありがとう、ジョルジュ. 何かしら?

          C'est une écharpe?
          セテュネシャルプ?
     スカーフですか?


     《単語》
bonjour (ボンジュール) こんにちは; おはよう
entrez (アントレ) お入りなさい (ez はエと発音する)
pardon (パルドン) (人の前を通りときなど)失礼
voici (ヴォワスィ) ここに~がある、 これは...です  
tiens (ティヤン) おや、まあ、へえ(驚きの感嘆辞)  
moi (モワ) 私
merci (メルスィ) ありがとう
qu'est-ce que (ケスク) 何
c'est (セ) それは~である
écharpe (エシャルプ) スカーフ
「補充単語」
mouchoir (ムショワール) ハンカチ
non (ノン) いいえ
ne...pas (ヌ...パ) ...でない
    ne は母音の前でn' となり、e が脱落します
alors (アロール) それでは
des (デ) 不定冠詞(複数名詞につける)
bas (バ) ストッキング(複数形)   単数形もbas (バ)
      ただし通常は1つでも複数扱い
sont (ソン) ~である
non plus (ノン プリュ) ~でもない(ne...pas と共に用いる)
gants (ガン) 手袋(複数形)(単数はgant ガン、片方の手袋)


——————≪文法≫————————————
  
名詞には、「男性名詞」と「女性名詞」があります。

男性名詞につける不定冠詞(ひとつの、という意味)は un (アン)
女性名詞につける不定冠詞は、une (ユヌ)
複数名詞につける不定冠詞は(いくつかの)des (デ)

——————————————————
Voici ~  ここに~がある.
Voilà ~   あそこに~がある.
——————————————————

Voici un manteau.  ここに外套があります.
ヴォワスィ アン マントー.

Voilà une robe.  あそこにドレスがあります.
ヴォワラ ユヌ ローブ.